ウェストサイド物語(劇団四季)
四季劇場・秋(浜松町)
で観劇。
まずはサクッと振り返り。
話としては憎しみのロミジュリでダンス多めセットもサイドバルコニーの古き良きミュージカルって感じだった。ラストも問題提示でどよよんと終わる。去年ニューヨークで見たレミゼを思い出したり…
パフォーマンス面は相変らず良かった!としか言えないので、以下はストーリーについて書きます。
ネタバレ(ミュージカルにネタバレとかあるのか…?)ご注意。
-
-
-
- -
-
-
~あらすじとか登場人物とかを振り返るにはWikipediaをどうぞ~
ウエスト・サイド物語 - Wikipedia
さてさて、ウェストサイド物語のラストは特に何かが解決するわけではない。何も解決しないまま、どよよんと終わる。
ジェット団とシャーク団の憎しみあいが終わったわけでもない、移民の差別がなくなったわけでもない、リフとベルナルドはもちろん生き返らない、アニータも可哀想なまま、トニーは死に、チノは逮捕され、トニーの遺体が運ばれる…どよよーん。
この「どよよーん」は問題提起だ。どよよーん、はつまりウェストサイド物語における「どうしようもなさ」で、私たちが考えなくっちゃいけないこと。というか考えずにはいられない。ちゃんとそうさせてくれるパフォーマンスだった。
ウェストサイド物語における「どうしようもなさ」
これは物語のほとんどを占めているし、数えられるようなものでもないと思うけれど大きく分けると2つになると思う。
①移民(人種)差別
②親(大人)のせいで生まれる子ども(若者)の寂しさ・無教養
まず物語序盤から協調されているのは①で、白人側のジェット団やクラプキ巡査がプエルトリコ側のシャーク団にかける差別的、攻撃的な言葉がこれを明らかにしている。だからまず私たちは「これが人種差別…ちょっと白人側ひどすぎるんじゃない?」と感じる。
でも、物語が進むにつれて②の問題も明らかになってくる。プエルトリコ側に言う悪意ある言動はジェット団よりもクラプキ巡査つまり大人の方がひどいし、後半のクラプキ巡査の歌なんかからジェット団の団員も「社会的な人種差別」を受けているということが分かってくる。
肌の色はどうしようもない。親を変えることもできない。社会を変えるには若者は弱すぎる。
あぁ、マリーアの「社会がトニーを殺した」というセリフにでてくる社会、それはこの「どよよーん」であり「どうしようもなさ」だったんだなあ。
最後に「あ、これはジェット団だ」と思ったツイートを一つご紹介します。
褒められて育った人間は「自分はこうして生まれて生きているだけで価値がある」と自己肯定できるのに対し、褒められずに育った人間は「自分は日本人であるから他の国民より優秀だ」「自分は男であるから女より上だ」と自分の動かぬ属性そのものを持ち上げ他を見下し自己肯定するというの残酷すぎる
— N (@N_write) 2016年3月6日