三室山

本を読んだり映画を見たり、鉄道唱歌の旅に出たり

女の拠り所

 

「身寄りのない私には、子宮が最後の頼みだった」

TBS金曜ドラマ コウノドリ第7話。

吉田羊演じる小松さんが、子宮を全摘出した後に放ったセリフだ。

これを聞いた時、すぐ坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」の一節を思い浮かべた。

 

「田代さんほどの人間通でもノブ子さんの気持がお分りにならないのね。ノブ子さんは身寄りがないから、処女が身寄りのようなものなのでしょう。その身寄りまでなくしてしまうとそれからはもう闇の女にでもなるほかに当のないような暗い思いがあるものよ。私のような浮気っぽいモウロウたる女でも、そんな気持がいくらかあるほどですもの、女は男のように生活能力がないから、女にとっては貞操は身寄りみたいなものなんでしょう、なんとなく、暗いものなのよ。ですから、ノブ子さんのただ一つの身寄りを貰うためでしたら、身寄りがなくとも暮せるような生活の基礎が必要でしょう。前途の不安がないだけの生活の保証をつけてあげなくては。口約束じゃアダメ。はっきり現物で示して下さらなくては」

坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」

 

補足説明すると、田代さんというのはノブ子さん(飲み屋のマダム=女主人)に長年言いよっている男で、2人の関係は

「田代さんはノブ子さんが好きで、一杯のみ屋のマダムは実は口実で、ていよく二号にと考えてやりだしたことであったが、ノブ子さんも田代さんが好きで表向きは誰の目にも旦那と二号のように見えるが、からだを許したことはない。」

という感じだ。

 

「青鬼の褌を洗う女」は母娘、男女、女、と安吾の性別を疑うレベルで「女」が見事に描かれているので未読の人は是非。

 

白痴・青鬼の褌を洗う女 (講談社文芸文庫)

白痴・青鬼の褌を洗う女 (講談社文芸文庫)

 

 坂口安吾 青鬼の褌を洗う女(青空文庫)

 

本題に戻ると、

小松さんの言う「子宮」は、子供を宿す可能性がある、結婚する可能性が増える(別に子宮がなくたって結婚できる。けれど自分の気持ちとか相手の反応とか、色々考えてその確率が下がると考えてしまうだろう)、とかそういう身寄りができる「可能性」を表しているのだと思う。子宮があっても、妊娠できる体でも、しない人できない人は沢山いる。けれど失えば、自分の胎から産む可能性は完全に絶たれる。

 

ノブ子さんの「処女」も、何かの「可能性」だ。別に処女でないといけないというわけではない。それで良いことが起こるわけでもない。むしろ田代さんにあげたほうが、田代さんという身寄りができるだろう。けれど、彼も絶対ではない。

だから可能性を、ギリギリまで残しておかなければならない。

 

もちろん男にだってこういう「身寄り」はあるんだろう。けれど子宮とか処女とかは女特有の、女の拠り所なんだなあと思いました。