三室山

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続 純文学と大衆小説の狭間

純文学と大衆小説の狭間 - 三室山

 

小野不由美屍鬼」を読んだ。

長かったけど、ひさびさに「いっちょ朝まで頑張って読むか!」と明け方まで粘れる小説だった。こう、ダメだ続きをくれ!寝ないで良い!! ってなるのはやっぱりミステリ系が多いよね。よくやりがちなのは宮部みゆき。いや屍鬼はホラーか。(そういや文庫の解説は宮部みゆきだった)

それは文量の関係もあるし、ストーリーの面白さを売ってるジャンルってこともある。パターン①(いわゆる純文学)は大抵短編〜中編だし、ストーリーとかキャラクターでドキドキワクワクって感じはあんまりないから。

だって「屍鬼」もさ、「ソロモンの偽証」もさ、ハードカバーだともう鈍器だよ鈍器。これで杭打てちゃうよ。

 

というわけで楽しく読んだのだけれども、終盤思うところがあった。それは小説において作者が味方する者ってことだ。

ネタバレ防止でふんわりとしか言えないけど、つまり登場人物とか登場する共同体とかがそれぞれの正義を主張するとき、最終的に作者はどっちを是とするかってこと。それは多く割かれるセリフだったり、生死だったり、勝敗だったりでわかってくる。

いやそりゃ単純に主人公だよ! って感じだけど、主人公が曖昧なものってあるでしょう。「屍鬼」とか。若御院が主人公っぽいけど、途中までだと断言できるほどではないと思うんだよね。(ってことは後半から......もにょもにょ)

以下薄字で軽くネタバレ

それはストーリー上、人間と屍鬼どっち側が主人公チーム=どっちが生き残るか 、正義か、って問題だったからそりゃ断言しちゃ面白くなくて、

だから序盤は人間側、中盤は屍鬼側、終盤はさーてどっちだってどっちも描いて結局最後は屍鬼と。ってか完全に若ご一家が主人公だと。尾崎先生たちの負けだった。消息さえ不明! 私は尾崎先生推してたのに!出せ!!

 

という。

 

味方する方を決めるっていうのは、つまりそいつが作者の代弁者で、そいつの言動が作者に「私はこう思うよ〜」ってことになる。逆に描いてる場合もあるかもしれないけど、どっちにせよわかりやすい。とどのつまりパターン②。なるほどなるほど〜 

でも遠藤周作の「沈黙」とか明らかに弱者に味方してるしなんとも言えないけど......

 

 

屍鬼〈1〉 (新潮文庫)

屍鬼〈1〉 (新潮文庫)